これからの幸せの手がかり
「間(Ma)」
台湾のサイバー無任所大使 / 初代デジタル担当大臣
オードリー・タン
幼少期から独学でプログラミングを学び、14歳で中学を自主退学。19歳でシリコンバレーに渡って起業し、アップルのアドバイザーも務めた。35歳で史上最年少の閣僚となり、行政のデジタル化を推進。コロナ禍ではマスクの在庫情報の可視化に貢献した。米『TIME』誌の「AI分野で最も影響力のある100人」に選出。デジタル民主主義やAI倫理の研究と実践に取り組む。著書に『Plurality(プルラリティ)』(グレン・ワイルらとの共著)など。
Q&A
「あいだ」に宿る ウェルビーイング“We-Being” を叶えるためのキーワード
「間」は、ケアが息づく、ひらかれた場のことです。私たち市民こそがスーパーインテリジェンス(超知能)だと忘れなければ、人が機械に置き換えられることはありません。むしろ、機械が足場となって支える「間」を、私たちは一緒に維持し、修復し、育てていくことができます。人と人との理解の隔たりを埋める「架け橋」として機械を使うことで、「間」はよりよく、より健やかなものへと変わります。
それを実感したエピソードは?
ウェルビーイングは、ひとりで実現できるものではなく、お互いに心を配り、一緒に支える場のなかで生まれるものだと思います。2014年に台湾で起きた「ひまわり学生運動」(※1)は、私の原点となる出来事でした。この運動の重要性は、政策上の成果よりも、「ともに成し遂げた」と感じられる体験をみんなで共有できたことです。分断のエネルギーは、市民を力づけ、共鳴し合う原動力へと変わりました。 ※1 ひまわり学生運動 2014年3月に台湾で起きた市民運動。中国との市場開放を進める「サービス貿易協定」と、その審議に抗議し、学生らが立法院(国会)を23日間占拠した。オードリー・タンさんは、立法院内のライブ配信を行うほか、シビックテックを活用し、合意形成を支援した。運動は、台湾でデジタル民主主義が進むきっかけになった。
Interview
キーワードやエピソードの周辺には、どんな想いがあるのでしょうか。お話を伺いました。
ウェルビーイングを育てるもの
──コクヨでは、これからの自律協働社会において、個人の内側から生まれる幸せだけでなく、人と人の「あいだ」に生まれる幸せ「We-Being」が鍵になると考えています。オードリーさんにとって「ウェルビーイング」とはどのようなものですか。
「We-Being」は、美しい考え方だと思います。私はこの言葉を聞くと、“We’ll be” を連想してしまいます。「私たちはともに存在し、関わり合いながら、ともに変化していく」というメッセージが、この言葉には込められているように感じるのです。 だからこそ、ウェルビーイングで大切なのは、誰も取り残されない場で、私たちは一緒に何かをしていると感じられること。その共鳴の感覚こそが、ウェルビーイングの土台だと思います。 もう一つ大切なのは、最初から完璧である必要はないことです。「これで十分(グッド・イナフ)」と受け止め、肩の力を抜いて自然体でいられることも、ウェルビーイングには欠かせないと思います。
──そうした姿勢はどのように育まれるのでしょうか。
台湾の基礎教育課程では、「互動」と呼ばれる協働の感覚を養うことを目指し、「リテラシー」よりも「コンピテンシー」を重視しています。情報を受け取る力をリテラシーだとすれば、コンピテンシーは協働する力を筋肉のように鍛えるものです。それによって、共鳴する力が育ちます。 もう一つ、柱として定めたのは「シビック・ケア(市民的配慮。台湾の基礎教育課程における『共好』)」です。周囲への思いやりや、社会との調和を大切にしています。そうして好奇心と自律性を育むことで、「次に一緒に取り組める小さな試みは何だろう」と問い続ける姿勢を育てています。

対立や孤独を超えて人がつながるには
──オードリーさんは、多様な人たちと協働し、対立を共創のエネルギーに変える考え「Plurality(プルラリティ、多元性)」を提唱しています。プルラリティを実現するうえで、ウェルビーイングはどのような役割を果たすのでしょうか。
私の考えの根底には、道家思想があります。その重要な概念の一つが「冲和(チョンホー)」、つまり「対立を通じた共創」です。これは調和の一種ですが、単純な調和とは違います。対立はいたるところにあるものですが、そこから共創が生まれるという可能性に目を向ければ、あらゆる対立をエネルギーの源に変えられるということです。 多様性とは、違いを遠くから眺め、ただ寛容に受け入れることではありません。近くで向き合い、違いから生まれる対立を大切にし、左翼と右翼の対立を、ともに上へ向かう「上翼(up-wing、アップウイング)」の力に変える仕組みをつくることです。 人は、対立によって左翼か右翼のどちらかに飛んでいくわけではありません。仕組みが適切に設計されていないことで、極左や極右へと先鋭化してしまいます。しかし、2014年に原型をつくった合意形成のためのプラットフォーム「vTaiwan」や、近年広がっているXのコミュニティノートのような仕組みがあれば、左右の翼は均衡し、対立のエネルギーを上翼へ変えることができます。

vTaiwanは、オンラインと対面での対話を組み合わせ、台湾の市民と政府が国の課題についてともに議論し、合意形成や制度づくりにつなげる参加型の協議の仕組みです。 WEIRD(Western, Educated, Industrialized, Rich, and Democratic、西洋の教育水準が高く工業化され豊かで民主的な社会)圏が見落としてきたのは、まさにこの点です。そうした社会で測られてきたのは、おもに個人の満足度でした。しかし、極端な立場にいる人も、仲間を見つければ高い満足度を得るかもしれません。別の集団を攻撃することで、強い幸福を感じることさえあります。それはプルラリティではありません。 プルラリティに必要なのは、関係性のウェルビーイングを測ることです。問うべきなのは、そのシステムが個人の幸福を高めているかどうかではなく、思想的に大きく隔たった人々も含め、周囲との関係をより強く健全にしているかです。対象は、ファッション、食、スポーツ、何でもかまいません。 人を狭いエコーチェンバーに押し込む仕組みは、本人に強い幸福感を与えても、周囲との関係を損ないます。それよりも、幅広い人間関係を健やかにする仕組みのほうが、プルラリティにつながります。
──職場には専門や世代、文化の異なる人たちがいます。そうした人たちが安心して参加でき、対立を超えてつながるには、どのようなルールや仕組み、空間が必要でしょうか。
大切なのは、相手を説得することではありません。互いの存在や立場を認め合い、安心して次の意思決定に進める土台をつくることです。 そのためには、主体性(Agency)だけでなく、帰属意識(Belonging)、ケア(Care)、尊厳(Dignity)も欠かせません。A、B、C、Dのすべてが必要です。 健全な職場は、「ここに所属しているのだから、職場の文化に自分を合わせるべき」と求める場所ではありません。深刻な状態になる前に、気兼ねなく助けを求められる仕組みが整っている場所です。私もデジタル担当大臣を務めていたとき、上から一方的に解決するのではなく、同僚どうしが助けを求められる仕組みをつくるように心がけていました。 議論の場においては、だれもが自由に意見を言えるだけでは不十分です。同じ場の一員としてお互いに尊重されていると感じられなければ、立場や肩書のある人に議論を支配されてしまいます。 特に東アジアでは、立場の強い人が議論の枠組みを決めてしまいがちです。ほかの人たちが自由に発言しているように見えても、決められた枠組みのなかで話しているだけなら、帰属意識は生まれません。

また、共通する懸念を可視化しながら、特定の個人が攻撃の対象にならない仕組みも必要です。マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者にならい、私はその仕組みを「メロニミティ(meronymity、部分匿名性)」と呼んでいます。 オンラインで「ブロードリスニング(幅広く意見を聴くこと)」を行うと、参加者は、相手がロボットではなく同じ市民だと分かります。一方で、個人を特定できないので、「あの人は愚かな質問をした」と名指しで非難されることはありません。こうした安全性は、尊厳を守るうえでも重要です。 さらに、その場でAIにどこまで判断をゆだねるのか。その境界をあらかじめ全員で共有しておく必要があります。多くの人は、AIが流暢に受け答えすることを、知恵があることと混同し、まるで神託に従うように次々と判断をゆだねてしまいます。 AIのようなシステムは、異なる立場や考えを持つ人々のあいだに「橋」をかけることはできます。しかし、橋を渡るかどうかを決めるのは人間です。 職場の外に気軽に参加できる「サードプレイス」があることも大切です。その点で、私は台湾がアジアで最も幸福な社会だと思っています。たとえば、台湾では一緒に食事をする機会が多く、社会的孤立が少ないです。寺院や教会、モスクに足を運んで一緒に祈ったり、食べ物を分け合ったり、人と人とをつなぐ「間」となる場が多くあります。 最近訪れたスウェーデンには、「フィーカ(fika)」という習慣があります。単なる休憩ではなく、同僚とお茶を飲みながら、部署や組織の垣根を越えて気軽に相談しあう時間です。職場で日常的に相談しあえるようにする仕組みの一つだと言えます。

Good Enough Ancestor
──AIや超知能は人間社会にとって脅威でもあります。そうしたテクノロジーとの共生をポジティブに捉えられるのはなぜでしょうか?
私がテクノロジーに対して前向きな未来を思い描くのは、『ドラえもん』を読んで育ったからでしょう。『ドラえもん』は、私が知るなかで最も希望に満ちた、人間と機械の共生のかたちです。ロボット猫のドラえもんは、家族の暮らしを支配しようとはしません。人と人とのつながりを深める道具をただ取り出すだけです。 そのおかげで、主人公ののび太は創造的な遊びに取り組めます。同じように、私たちはそれぞれのコミュニティにとって意味のあることに自由に取り組めるようになります。ドラえもんは、そうした営みを効率化したり、人間に代わって担ったりする存在ではありません。
──これから、どのような未来を実現したいですか。
未来を考えると、「Good Enough Ancestor(十分よき祖先)」でありたいと思います。自分が生まれたときよりも、より広いキャンバスと、より大きな余白を、この世界に残したいです。 私が望むのは、私たちが完璧な祖先として、未来の可能性を閉ざしてしまうことではありません。私たちは、ただ「十分によい」存在であればいい。間違いも犯すでしょうし、ひびも入るでしょう。でも、そのひびから光が差し込みます。 未来の世代は、私たちがつくったものを見て、どこか壊れていることに気づくでしょう。それでも、すべてのかけらを捨てずに受け継ぎ、さらに創造的な形につくり直すことができます。そして、その先の世代のために、より広い余白を残していく。そうした営みが、世代を超えて続いていきます。 これは、個人の幸福についての話ではありません。同じ時代を生きる人たちだけでなく、はるか先の世代とも、より強いつながりを築いていくということです。










