30 Voices

これからの幸せの手がかり

「ゆらぎ・ゆだね・ゆとり」

早稲田大学 文学学術院 教授

ドミニク・チェン

1981年生まれ。早稲田大学文化構想学部教授。人と微生物が会話できるぬか床発酵ロボット『Nukabot』の研究開発や、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words/TypeTrace』の制作を行いながら、テクノロジーと人間、そして他種の望ましい関係性を研究している。主な著書に、『未来をつくる言葉:わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)、『電脳のレリギオ:ビッグデータ社会で心をつくる』(NTT出版)『ウェルビーイングの作り方──「わたし」と「わたしたち」をつなぐデザイン』(共著、ビー・エヌ・エヌ)、訳書に『ウェルビーイングの設計論:人がよりよく生きるための情報技術』(BNN新社)等。

Q&A

「あいだ」に宿る ウェルビーイング“We-Being”を 叶えるためのキーワード

「ゆらぎ・ゆだね・ゆとり」

人は常に変化する存在であると認める「ゆらぎ」、何でも一人で抱え込まずに他者や道具に身を任せる「ゆだね」、最短経路を目指さず回り道や試行錯誤のプロセスを味わう「ゆとり」。これらは、人間を弱い存在として捉え直すための、3つの脱・最適化の軸です。ブレない強さや効率性を求める近代の設計思想を解きほぐし、互いの弱さを受け入れ合える、心理的に安全な関係性を育むための基盤となります。

ドミニクさんにとって、人と人が関係性の中で満たされる「ウェルビーイング」とはどのような状態ですか?

私はウェルビーイング(being=状態)という言葉を、現在進行形の「ウェルビカミング・ウィズ(Well-becoming with)」へと変えて捉えています。あらかじめ計画されたゴールを目指すのではなく、その時々の文脈の中で、他者とともに良い状態を模索し、変化し続けるプロセスのことです。自分一人で完結する幸せではなく、不確実な関係性の中で「ともに変わり続けること」自体にこそ、「望ましさ」が生じると考えています。

Interview

キーワードやエピソードの周辺には、どんな想いがあるのでしょうか。お話を伺いました。

「ビーイング」から「ビカミング」へ

──研究者として、そしてドミニクさん個人として、ご自身が満たされていると感じる「ウェルビーイング」がどのような状態かお聞かせください。

ずっとウェルビーイングという言葉について考えているのですが、真面目に向き合うほど一言では言い表せないものだと感じています。ただ、最近の私は、この言葉自体を少し更新して捉えているんです。 「Being」とは、ある固定された状態を指しますよね。しかし「幸せな状態」という特定の目標を定め、そこを目指し続けて生きていると、皮肉なことにウェルビーイングからどんどん遠ざかりかねない、という懸念が生まれます。そのため、私は「Being」を現在進行形の「Becoming」、さらには人は常に他者とともに変化するという意味を込めて「Well-becoming with(ウェルビカミング・ウィズ)」という言葉に置き換えて考えています。

──自分にとっての「心地よさ」や「幸せ」の定義そのものを、状況に応じて変化させていった方がいいということでしょうか。

その通りです。目標を固定したまま10年、20年と生きていると、非常に狭い道を歩かざるを得なくなります。そうではなく、「去年はAという行為によって心身の充足を得ていたけれど、今年は別のBという取り組みに変わるかもしれない」というように、動的に移り変わっていくものとして、常に「良い状態」を自分に問い続けること。それこそが、結果的に一番ウェルビーイングに近づく方法ではないでしょうか。 そのために、私はここ数年、「自己対話」や「省察」をとても大切にしています。人間は、自分が一体何を感じ、何を考えているのか、それほど自明に分かって生きているわけではありません。それをジャーナリングとして書き出してみたり、言語以外の表現を通して外に表現することで、初めて「自分はこんなことを感じていたんだ」と反芻し、理解し直すことができるのです。いわば、バックミラー越しに自分の軌跡を確認しながら歩むような感覚ですね。

──目標に縛られないための具体例はありますか?

例えば、ダイエットで「あと5キロ痩せる」という目標を設定したとします。その目標に達しない限り自分は幸せではないと、現在の幸せを未来の目標に対する「負債」のように捉えてしまうのは非常に辛いことです。もしかしたら、そのマイナス5キロという設定自体が間違っているかもしれない。そうやって自分で問いを立て直すことができれば、目標に縛られず、「ただ山を歩いて気分転換をすることの方が、今の自分には大事だった」と気づき、軌道修正ができます。

──自省を大切にする気づきを与えたきっかけは何かありますか?

私が非常に影響を受けているアプローチとして、北海道の浦河町で生まれた「当事者研究」という手法があります。これは、統合失調症などの精神疾患や発達障害とともに生きる人たちが、医療や支援の力も借りながら、自分自身に起きていることや日々の生きづらさを「大切な苦労」として主体的に捉え直し、そのメカニズムや自分に合った付き合い方(自分の助け方)を研究していく取り組みです。

──自分の症状を自分たちで研究するとは、具体的にどういうことなのでしょうか。

幻覚が見える、幻聴が聞こえるといった、他者には理解されづらい主観的な症状をノートに書き留め、言語化していくのです。そうして自分の状態を言葉にする力を獲得していくと、今度はそれを他者に伝えられるようになります。他者に伝わることで、思ってもみなかったフィードバックが得られたり、ただ話を聞いてもらえること自体が心理的安全性や自信につながったりします。 この考え方は、特に診断名を持たない、いわゆる「健常者」と呼ばれる人たちにとっても極めて示唆的です。誰もが何かしらの生きづらさや困難を抱えて生きていますが、それをうまく人に伝えられない状態はとても苦しいものです。ウェルビーイングという綺麗でポジティブなゴールを先に置くのではなく、まずは自分が抱えている難しさや弱さとより良く向き合うこと。 私は大学の授業でも、学生たちがそれぞれの抱える難しさをテーマに作品を作ったり、論文を書いたりして表現に変えていく試みをしています。それを周囲が受け止めることで、問題の本質的な解決には至らなくても、「より良く問題と付き合っていける」ようになる。これこそが、私の言う「ウェルビカミング」のひとつの実践の形です。

心理的安全性をもたらす「相槌」と「雑談」の技術

──「弱さの開示」のほかに、個人の「自律」と他者との「協働」が心地よく共存するために、私たちが日常で実践できる小さなステップはありますか。

私がもう6年ほど続けている「相槌(あいづち)研究」の話が参考になるかもしれません。私たちが一般的に「対話(ダイアローグ)」を思い浮かべるとき、Aさんが話している間はBさんが黙り、話し終わったら交代するという「順番交代モデル」を想定しがちです。 しかし日本のコミュニケーション文化では、相手の話に合わせて相槌を打ったり、頷いたり、相手が言いかけたフレーズの続きをもう一人が引き取って続けたりすることが日常的に行われています。会話を別々に独立して行うのではなく、一緒に「共創」していく。そうしたプロセスのなかに、私と相手の淡い「重なり合いの領域」が生まれてくるのです。

──議論や討論の場では発言権が厳密に守られますが、日常のコミュニケーションはもっとお互いが混ざり合うものですよね。

まさにその通りです。順番を厳密に守るべき場面もありますが、お互いの重なり合いを作るミクロな実践の最たるものが「雑談」です。日常の雑談ができるか否かによって、相手との関係性は大きく変わります。 いきなり深い話を1時間するわけではなく、最初は「今日は暑いですね」「最近忙しそうですね」といった、他愛のない一言から入る。それを何度も繰り返していくうちにだんだん雑談の時間が長くなり、お互いの意外な興味関心を知るきっかけが生まれます。「一緒に会話を作った」という経験の蓄積こそが、心理的安全性をもたらすのだと考えています。

関係性をデザインする「ゆらぎ・ゆだね・ゆとり」の思想

──ドミニクさんが渡邊淳司さんとの共著『ウェルビーイングの作り方』で提唱された「ゆらぎ、ゆだね、ゆとり」という3つのデザイン要素について、改めてお聞きしたいです。

この3つの軸は、日本や東アジア的な「私(個人)」と「私たち(関係性)」が混ざり合った複雑なパラダイムを背景に導き出したものです。これまでのテクノロジーやプロダクト開発の多くは、「私のウェルビーイング」をどう実現するかというように、個の便益にフォーカスしすぎていたのではないか、という問題意識がありました。そうではなく、あるプロダクトを使う人と、その周辺にいる人たちがどうやって良い関係を結べるか、つまり「私たちのウェルビーイング」をつくるために必要なアプローチとして、この3つの要素を提示しました。

わたしたちを支える3つのデザイン要素の一つ「ゆらぎ」は、人が固定化された存在ではなく、常に変化し、その道筋すらも揺らいでいく存在であることを認める視点 のことだと説明するドミニク・チェンさん

──現代のデザイン思想では「いかに効率よく、最短で目的を達成できるか」が良しとされがちですが、それとは真逆のベクトルですね。

そうですね。主流のUI/UXデザインでは、3ステップかかっていたものを1ステップに短縮することが「革命」と評されますが、その結果として人間の思考パターンが固定化され、視野が狭くなってしまう。SNSのエコーチェンバーのように、自分と違う意見に対して不寛容になり、関係性に悪影響が及ぶ状況も明るみに出ています。だからこそ、この3つの要素でデザインを「解きほぐす」必要があるのです。 具体的に説明すると、まず「ゆらぎ」は、人が固定化された存在ではなく、常に変化し、その道筋すらも揺らいでいく存在であることを認める視点です。次の「ゆだね」は、自立と他律のバランスを意味します。何でも100%自分の主体性だけでやるのでもなく、あるいはシステムに完全に任せきりにするのでもなく、自分の外側にある道具や他者に、適切に身を任せることで築かれる関係性のことです。最後の「ゆとり」は、ゴールへの最短経路を突っ走るのではなく、そこに至るまでの試行錯誤や回り道のプロセスそのものに価値を見出す設計です。

──企業や設計者がプロダクトや組織のなかにこの思想を取り入れるには、どうすればよいでしょうか。

これまでは、作った道具がどれだけ目的の達成に貢献できたかというKPIだけで評価されがちでした。しかし今後は、道具を使う人たちの身体感覚や感情、あるいは想定外の「誤用」から生まれる新しい文化を、長期的に観察するデザイン研究の視点が求められます。 最近、渡邊淳司さんと一緒に、これらを議論・実践するための「型紙(ワークシート)」をちょうど完成させたところです。例えば「ペン」という文房具をデザインするとします。ペンの基本機能である「考えを記録する」を据え置きつつ、それが個人、あるいは周囲の人との間でどういうウェルビーイング要因を生むかを考え、そこに「ゆらぎ・ゆだね・ゆとり」のシナリオを配線図のようにつなぎ込んで想像していくのです。

──具体的にはどのようなシナリオが考えられるのでしょうか。

例えば「ゆとり」の要素を掛け合わせた架空のサービスとして、「スローライティングカフェ」という事例が考えられます。カフェにノートとペンが置かれていて、書く目的も共有の義務もなく、ただ訪れた人が自由に書く。「何も生み出さないことを許す」という心理的余白のデザインによって、内面が外化され、予期せぬ思い出が浮かび上がってくる。 こうした設計をもとに、実際にどのような関係性や体験が生まれたのか、アセスメント(評価)するためのシートも合わせて作っています。ITやメディア、身の回りの道具を、人を分断・隔離するものではなく、人と人の間の関係性を豊かにするものへ変えていくための、ひとつの実践的なツールになると考えています。

保護猫と発酵に見る「ウェルビカミング」

──効率重視の現代社会の中でどうすれば幸せになれるのか、一筋縄ではいかない難しさがあります。そんな中、ドミニクさんご自身が今、個人的に「ウェルビカミング」を感じている瞬間はありますか。

そうですね、考えてみると「わたしたち」が良くなっていくチャンスは日常的にもたくさんあります。大学の学生や研究者たち、家族や友人たち、そして人間以外の他種の存在たちとの関係です。実は数日前、我が家に新しく保護猫を迎え入れたばかりで、今はそのことで頭がいっぱいです(笑)。我が家にはもともと、他の猫と暮らしたことがない8歳の先住猫がいます。昼間はひとりぼっちで少し退屈そうにしていたので、1歳のやんちゃな茶トラの保護猫を新しく迎えることにしたのですが、この1週間は本当にドキドキの連続でした。

──まさに予測不可能な「他者」との関係性のデザインですね。

そうなんです。2匹の間合いを測りながら、最初はケージ越しに、そして徐々に対面させていく。先住猫も新しい猫も、それぞれが心地よくいられるか、人間側も壁の後ろからそっと観察しながら、部屋の配置を変えたりして介入していきます。ここでも、猫たちそれぞれの行動のゆらぎを観察し、かれらに委ねながら、時には衝突したりするプロセスを注視する、ということをしている気がします。 結果的に、想像以上に2匹が仲良くなりそうな気配を見せてくれて、その関係性が少しずつ醸成されていくプロセスを目の当たりにしている今、私の心はものすごく「ウェルビカミング」しています。自分一人の閉じた幸せではなく、猫たちを含めた「わたしたち」という小さなコミュニティ全体の中に、心地よさの可能性がじわじわと広がっていく感覚ですね。

──別様な可能性を想像し、分かり合えなさを前提としながらも響き合う関係性。それは、ドミニクさんが長年研究されている「発酵」の文化とも深く結びついていますね。

まさに、ぬか床や味噌といった発酵食の世界には、「ゆらぎ・ゆだね・ゆとり」のすべてが詰まっています。 ぬか床の中にいる目に見えない微生物たちは、究極的に分かり合えない他者です。彼らは言葉を喋らないし、人のような感情や神経系も持っていません。しかし、私たちの身体の中には、自身の細胞の数よりも多くの微生物が共生しており、実は最も身近な他者でもあります。 発酵食づくりにおいて、人間がやっているのは「微生物たちが働いてくれるための場づくり」に過ぎません。何でも自分がコントロールしようとするのをやめ、他者に「ゆだねる」ことで、人間のマインドセットが外側に向けて優しく開かれていくのです。これから新しいテクノロジーやプロダクトのあり方を考えていくとき、こうした伝統的な発酵のテクニックや思想に目を向け、そこから学びを得てデザインに応用していくことは、関係性中心のウェルビーイングを叶える上で、非常に豊かなヒントになるのではないでしょうか。

ドミニク・チェンさんらが主宰する築80年の古い建物をリノベーションし、人と微生物の関わりや学びを共有する場「學酵」の様子
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